小売業は、その国の生活を映す鏡のような存在であるが、世界のショッピングセンターや小売店の実情から、生活全般の変化を考える。
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ホームセンターが日本の流通業に与えた影響

ケーヨー竜ヶ崎店

 ケーヨーの創業者、故・永井幸喜氏のメモリアル本が完成し、先日披露の集まりがありました。メモリアルには永井氏の生い立ち、故郷綾部市のことから、千葉での社外活動、仕事以外のことまでさまざまな思い出が多くの人から寄稿されていました。よくある伝記ではなく、それぞれの心に残っているメモリアルとしたい、というのが企画者の意図のようでした。私も僭越ながら2つの文を寄稿させて頂きました。寄稿文を執筆しながら、改めてホームセンターとは一体何だったのか。日本の流通業にどんな影響を与えたのか、が頭の中を駆け巡りました。

 ホームセンターが日本に登場したのは、1970年頃のことと言われています。ちょうど第一次オイルショックがあった時で、新しいビジネスを模索して多くの事業家がアメリカ視察に出掛けたものです。その結果、日本にはファミリーレストラン、コンビニエンスストア、ホームセンターといった新しいフォーマットが導入されました。既存の小売業との明らかな違いは、カテゴリーに基づくフォーマットであったことです。それまでは、1つの建物に売れるものを何でも集めて売場を作っていました。消費者のニーズに合わせてと称して商店街を構成していた業種店の商品を奪う商売でした。それが「ホーム」という住まいのカテゴリーに照準を当てたフォーマットが登場したのです。

 もちろん生鮮食品などの扱いはなく、突然現れたホームセンターは、お客の奇異な目にさらされました。オープン時、「この店は買うものが無い」とつぶやくお客の声があったほどです。しかし、これは日本の小売業大転換の始まりでした。利益を上げる方法、利益構造ががらりと変わっていったのです。既存の小売業の利益構造は、売上高を上げることでした。1つの店舗で売上を上げるということは、スペース効率を上げるということす。つまり直ぐ売れる、売れ筋商品を集めてくるということで、お客の買い易さを無視することになっていたのです。ところがカテゴリーに基づくホームセンターの利益構造は、スペース効率ではなく、一人当たりの売場面積を広げることによるものでした。お客の買い易さを実現しつつ利益を上げるというものでした。

 売上高の高い店舗を繁盛店と言いますが、繁盛店にも限界があります。経済学で言うところの収穫逓減の法則です。売上は、あるところまで伸びると、後は伸び率が次第に少なくなって限りなく横ばいに近くなって行きます。反対にコストは伸び始め、結果として利益が減ってくるのです。ホームセンターなどが登場する前には、こうした繁盛店が多く見られました。アメリカから導入されたホームセンターは、1店の売上を高めるのではなく、店舗を増加させることで企業全体の売上を上げる仕組みです。利益を高く維持しながら次の店舗に移るというものです。これがチェーンストア・システムというものです。アメリカに学んだホームセンターの創業者達は、単に新しいフォーマットを見つけただけでなく、その近代的なビジネス手法を学んだのです。

永井幸喜メモリアル

 ケーヨーの創業期には、永井氏の故郷綾部市から入社された方が少なくありません。後輩や郷里のツテを頼って信頼できる人を採用していたのです。換言すれば気心の知れた人たちがグループを結成し、新しいビジネスに取組んだことになります。永井しもそれだけ故郷綾部市には深い恩を感じていたようで、ホームセンターが軌道に乗ってからは多くの寄付をしています。2005年には綾部市の名誉市民称号を受賞されました。他にもフィランソロピーと言われるものを数多く行っています。健康のためにゴルフを盛んにし、社員の結婚式では、まずしっかりした家庭を築きなさい、と言われていたとのことです。もちろん、ご自分の家族も大事にされていました。「メモリアル」は、ホームセンター開発の歴史を示すと共に、改めて永井氏の功績を偲ばせるものでした。
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