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小売業は、その国の生活を映す鏡のような存在であるが、世界のショッピングセンターや小売店の実情から、生活全般の変化を考える。
CVS日本導入の歴史と開発功労者の降板
セブンイレブン

 セブン-イレブンを世界一のコンビニエンス・ストアに育て上げた鈴木敏文氏がグループ会長の座を降りるということで注目を集めています。セブン-イレブンを日本に導入してから42年間、変わらずセブン-イレブンの経営に携わっていたことになります。

 1974年にアメリカのサウスランド社と提携し、東京の豊洲に1号店をオープンしますが、その時の店名はヨークセブンと言いました。その後1991年には親会社に当たるサウスランド社の株式を収得し、本家を子会社化してしまいます。その商品管理や物流システムは、優れたビジネスモデルとしてウォルマートと共にハーバード大学のケーススタディにも取り上げられていることは、良く知られているところです。

 鈴木氏は、セブンイレブンでの手腕が認められ、親会社イトーヨーカドー・グループのトップに登りつめ、約24年間グループに君臨して今回の退任となったわけです。鈴木氏の経営手法の特徴は、目標を掲げ、それに向って直進することです。一度決めたことは簡単には変えません。セブン-イレブンでも、売れ筋と死筋を明確にする「単品管理」が成功要因に挙げられます。一個一個の商品を観察して、売れない商品を売場から排除していくのです。他の考えに左右されることはありません。

 コンサルタントの意見や雑誌の記事にも目もくれず、ひたすら徹底しました。考え方を浸透させるために全国の店長を定期的に本部に集めて「店長会議」も開きました。社内外の情報も統制され、多くの異端者が排除されました。懐疑的なマスコミも遠ざけられました。その一途さが今日のセブン&アイ・グループの成功に繋がったといえるでしょう。

 鈴木氏は、戦後新しい流通業を切り拓いた創業経営者とは違った経営手腕を発揮したのです。しかし、鈴木氏が去るに当たって、改めて後継者問題が囁かれていることを考えると、セブン&アイ・グループが、これまで培ってきた体質が後継者を育てる障害の一つになってきたのではないかと思うのです。

セブンイレブン2

 ところで、コンビニエンス・ストアが日本に導入された経緯を改めて考えてみましょう。コンビニエンス・ストアの開発は、70年代の初めに大手小売業によって手が付けられました。セブン&アイの前身となるイトーヨーカ堂は74年、ダイエーがローソン1号店に当たる桜塚店をオープンしたのが75年、ファミリーマートは2社に先駆けて73年にその前身になる実験店をオープンしています。

 それが本格化するのは、ユニーのサークルK、ジャスコのミニストップ、長崎屋のサンクスなどが参入してくる80年代に入ってからです。コンビニエンス・ストアの開発には、アメリカ小売業のノウハウがモデルとなっています。実際は、発展の歴史も、流通業での位置づけも、人々の暮らし方も日本と全く違っていたので、ほとんど参考にならなかったのですが、そこから手が付けられることになったのです。鈴木氏が、サウスランドとの提携のためにアメリカの本社を訪ね、相手のプレゼンテーションの時、眠っていたという話は、今や伝説的になっています。

 70年代の初めは、大型店と中小零細店との摩擦がピークを迎えた時期でした。ダイエーを初め戦後急速に成長してきた大型店が中小零細店の経営を圧迫するようになります。ダイエーが三越を抜いて日本一の売上高になるのが72年です。各地で大型店進出反対の運動が一層激しくなっていきます。それまで、百貨店法で百貨店だけを規制していたのですが、新興の大型店舗も規制すべきだ、といった機運が高まってきます。

 73年には、『大規模小売店舗における小売業の事業活動の調整に関する法律』、いわゆる「大店法」が成立し、大型店の出店は大変厳しいものになります。大型店の出店を申請しても調整のために何年も掛かると言う状況が出てきました。イトーヨーカドーでも静岡県でオープンするまで10年以上を費やすという事態が生じます。こうした危機的情況の中で大型店も活路を模索し始めるのです。

 大型店の模索した活路には、2つの側面がありました。1つは、大店法に掛かからない店舗の開発です。規制の範囲内で展開できる中・小型店の可能性です。ロードサイドのホームセンターやドラックストア、専門店に注目が集まりました。もう一つは、中小零細店との共存共栄の道を模索するというものです。これまでの中小零細店が大型店進出で大きな打撃を受けたのは、生産性が低いためだ。もっと効率の良い店舗を提案すれば共存共栄の道が拓けるのではないかというものです。アメリカ流通業を見ると、大型店舗が大企業になっている中で、中・小型の店舗も成立していました。それがセブン-イレブンを初めとするコンビニエンス・ストアだったのです。

 アメリカ社会でのコンビニエンス・ストアの役割は、スーパーマーケットの補完であり、ガソリンスタンドなどに併設された車社会での便利な買物の場所でした。アメリカ小売業全体の売上割合でいっても2、3%でしかありません。そのコンビニエンス・ストアを逸早く日本的にアレンジし、効率的なシステムを創り上げた鈴木氏の手腕は確かに高く評価されます。しかし、日本のコンビニエンス・ストアが生まれた歴史的背景と消費者に認められた必然性というものも見過ごしにはできないでしょう。

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