小売業は、その国の生活を映す鏡のような存在であるが、世界のショッピングセンターや小売店の実情から、生活全般の変化を考える。
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倉本初夫商業界主幹の死を悼む!!
島村楽器創業50周年記念レセプション

 このブログも何とか100号目を迎えることができました。実は、100号目として新幕張(千葉県)にオープンした巨大ショッピングセンターを取り上げ、今後のSCの方向などを考えてみようと準備をしていたのですが、突然大きなニュースが入ってきました。私が38年間勤めた「㈱商業界」の倉本初夫主幹が12月15日に他界されたのです。1923年生まれですから享年90ということになります。毎年、秋には各地の同友会が主催する商業界地方ゼミナールが行われるのですが、その時はお元気で演壇に立たれていたようです。

 私が最後にお会いしたのは、「島村楽器」創業50周年記念のレセプションでした。昨年のことになりますが、しっかりとした口調でお祝いのスピーチをされていました。島村楽器の社長(当時)と2人で、記念レセプションへのご出席をお願いしに商業界会館を訪ねた時には、笑顔で快くお引き受け頂きました。レセプションは、夜8時を超えましたが、後から聞いたところでは、その当時から夜の会合は極力控えるようにしていたということです。お願いに行った時の雑談で、個人情報保護が厳しくなった話が出たのですが、主幹の鋭い指摘があったことを覚えています。まだまだ衰えてはいないな、と感じたものです。私には、「あまり変わらないね」、と声を掛けてくれました。

偲ぶ会
 主幹とはエピソードがたくさんありますが、今思い出すのは怒られたり、注意されたりしたことばかりで、あまり褒められたことが浮かんできません。ある時、同じ編集部の人間が首になると言う話を聞き、社長室(当時まだ社長でした)に乗り込んだことがありました。その人間の必要性を説いて思い止まらせようと思ったのです。社長室に入った途端、社長は開口一番、「会社を辞めると言ったら取り返しはできないよ」、と言われました。私の勢いが激しかったので、辞めると言い出すのではないかと思われたようです。機先を削がれたような形で、こちらの思いのたけをお話ししました。その後、首は何とか撤回されましたが、その時の言葉が心に残っています。

 初夫主幹は、現代の石田梅岩と言われた商業界創立者「故・倉本長治」の息子として生まれ、父親の亡き後「店はお客の為にある」という商業界精神を守って来られた方ですが、他にも多くの業績がありました。創業者の長治主幹の大きさの陰に隠れて、あまり目立たないのですが、例えば米国流通業の紹介者であり、また歌麿や写楽を育てた江戸時代の版元『蔦屋重三郎』の作家としての活動もありました。中でも私が強調したいのは、海外流通業の情報収集、発信に関する業績です。

 戦後、民主主義にとって小売業の近代化は優先事項と言っても過言ではありませんでした。その道筋を付けたのが商業界であり、主導したのは初夫氏でした。『チェーンストア米国百年史』、『スーパーマーケット』『フランチャイズチェーン』『マス・マーチャンダイジング』『最新スーパーマ-ケット経営』『ボランタリーチェンの運営と仕入れ』『小売業経営概論』などの海外名著シリーズの出版や海外主要業界誌との提携による情報発信を行ったのです。そうした情報が基になって日本の流通業の急速な発展があったことは自明のところです。

商業界社員旅行
 翻訳本の出版や最新情報の提供だけではありません、日本で最初のアメリカ小売業視察旅行を企画しました。当時、まだお若かかった初夫氏は、事務局として団の引率役だったそうです。「コーディネータを視察先に置き忘れてバスを走らせた」とその当時コーディネータだった故・川﨑進一先生が失敗談をよくお話になっていたものです。アメリカの小売業経営者を招待して講演会も開催しました。アメリカのバラエティストアの祖、ウールワース社長やディスカウントストア、Kマートの創業者カニンガムも呼びました。海外の流通情報を専門に扱う出版社であったから、そうした経営者も来日して講演してくださったのだと思います。ダイエーの中内さん、ジャスコ(現イオン)の岡田さん、イトーヨーカ堂(現7&I)の伊藤さん、西友の堤さんなど多くの創業者は、こうした情報で店舗を展開していったのです。

 もう一つ、二世経営者の教育にも力を入れていたことを忘れてはならないでしょう。“スパークル”という組織を作り、創業者の後継者を集めて定期的に勉強会を開催しました。築地市場の早朝見学会などには、私も同行させて頂いたものです。現在、各地で活躍している商業者の中にはスパークル出身者が少なくありません。日本の小売業の近代化に貢献しただけでなく、「商業界精神」を引き継ぐ商人の教育・育成にもしっかりと取り組んでいたのです。

倉本スケッチ
 最後に、主幹はスケッチを趣味にされていました。この分野でも才能を発揮されていたと言えます。毎年の年賀状には、その年描かれたスケッチ画が掲載されていました。どこに行かれたのか、何に感動したのかなどがスケッチから見えてきます。来年、年賀状が見られないのかと思うと寂しい限りです。業績をいくつも挙げましたが、私にとっては、旅やお酒をご一緒したり、同じ目標に向って仕事をさせて頂いた大先輩なのです。心からご冥福をお祈りいたします。
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