小売業は、その国の生活を映す鏡のような存在であるが、世界のショッピングセンターや小売店の実情から、生活全般の変化を考える。
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戦後の小売業成長の旗頭ダイエーが無くなる
 「ダイエー」の名前が消えるそうです。26日にはダイエー最後の株主総会が開かれ、イオン完全子会社化が承認されました。ダイエーは、戦後の流通革新の先頭を常に走ってきた企業です。イオンが完全子会社化し、2018年度を目途に名前をすべてイオンに統一すると言うことです。ダイエーは倒産後、産業再生機構入りから、商社の丸紅とイオンとで再建を図っていました。さらに2013年にはイオンが連結子会社にして再建を強化していたのですが、思うように業績が回復しませんでした。今後は、持ち株比率を100%に引き上げて完全子会社化し、本体のイオンとの統合を図るなかで問題の解決を図っていこうということです。

 ダイエーは、日本の近代的流通業革新の旗頭、中内功氏(功のつくりは、力でなく刀。現役のときは、うるさく言われたものです。)によって創業されました。中内氏は,フイリピン戦線でゴキブリや革靴を食べて生き残った引揚者でしたが、1951年にサカエ薬品という薬の現金問屋を開業します。父親は薬剤師で、薬局を商売にしていたので、取組みやすかったのだと思います。
中内いさお
 サカエ薬品は、桁外れに安い値段で薬を販売し、繁盛店になります。なぜ安く売ることが出来たかについては、有名なエピソードがあります。その日の朝現金で注文を受け取り、その足で問屋に駆けつけ、午後に薬を渡すというのです。仕入れの資金を心配することがありませんし、問屋からも現金ですから安く買えます。注文販売で在庫を持つこともありません。在庫を持つためには資金が必要ですし、場所も必要です。さらに、回転の悪い在庫は、どんどん溜まっていき、経営を圧迫することになりかねません。中内氏の商才の素晴らしさを示したエピソードの一つです。

 中内氏は、その後も“うがい薬”の会社を設立したりしていましたが、1957年には当時ブームになっていた主婦の店運動に共感して主婦の店ダイエーを創業します。これまでの常識を無視した安売りは、消費者の支持を受け、ダイエーは、各地に店舗を増やしていきます。実は、この急速成長の手法が後々ダイエー崩壊の原因となってくるのです。このときの手法というのは、土地を担保にお金を借り、次の店舗を開店させるというものでした。高度経済成長のもとでは、大型店の出店は、20%くらいの土地の値上げに直結していたのです。これも中内氏の商才と言うこともできるでしょう。手法はともかくとして1972年には三越百貨店を抜いて売上高日本一の小売企業になります。

 ダイエーの流通革新の業績はたくさんあります。何事についても第一に手掛けるのがダイエーでした。既存の対抗勢力に臆するところは全くありません。戦後に台頭した小売企業を集結してチェーンストア協会の初代会長に就任したのもその一つです。株を上場したのも、大卒採用を始めたのもダイエーでした。アメリカで開発されたフォーマット(業態類型)を日本に導入するのも一番です。ディスカウントストア、ボックスストア、メンバーシップ・ホールセールクラブ、コンビニエンスストア、ららぽーとのようなショッピングセンターなどなどです。今は残っていないとしても、最初に日本に紹介したのはダイエーだったのです。

 新しいフォーマットの紹介だけでなく、最近ではどこでもよく見かけるようになったプライベートブランド(PB)もダイエーが皮きりでした。PBの日本での始まりは、ダイエーのダブルチョップというものです。厳密に言えばPBとは言えないものですが、メーカー商品にダイエーのブランドを付けた商品です。この頃の代表的商品には、女性用のストッキング、インスタントコーヒー、粉末ジュース、マーガリンなどがありました。

 PBでもそうでしたが、ダイエーにはアメリカのように小売業が流通の支配権を握るべき、という思想があったような気がします。流通の支配権とは、端的に言えば価格の決定権です。中内氏の『安売り哲学』には、この思想が貫かれています。すべての試みがこの思想に繋がっていましたし、考えてみるとダイエーの革新性は、この戦いにあったのではないかと思います。その戦いの中で最もよく知られているのが松下電器(現パナソニック)との戦いです。一時は、正常なルートでは松下電器の製品が売れないことがありました。1970年代に入ってようやく解決するのですが、メーカーの流通支配を打ち破ったのです。

 ダイエーをすべてイオンにする狙いには、イオングループの再統合ということがあるでしょう。イオンも例にもれず業績の悪化が見られます。その原因には、消費税の関係なども言われていますが、イオン全体が巨大になり、ある面では散漫になってきたということがあります。経営は、たとえ増収が実現できなくても増益にしなければなりません。もし全体の再編によって増益が可能であれば、それを進めなければなりません。これからますます進むと思われる高齢化、少子化、国際化、高度租税社会に対応し、増益になるのであれば、これに早急に取り組まなければなりません。

 イオンには、GMS(総合スーパー)からスーパーマーケット、ドラッグストア、コンビニエンスストア、ホームセンタースーパーセンターなど様々なフォーマットがあります。それに加えて、以前マイカルであったものや、この間吸収した各地企業の店舗などがあります。それにダイエーの店舗が入るのですが、バラバラのままでは、とても効率を上げることはできません。特にダイエーの場合には、これまでのジャスコと商圏の重複が見られたり、ジャスコの郊外に対して、ダイエーは駅前や商店街の店舗が多いなど立地が違うものが多くあります。

 駅前の近くであれば、マンションビルを建設して1階でスーパーマーケットを運営すれば十分成功できるのでは、と考える人もいるでしょう。ところが、岡田イオン社長が記者会見で嘆いていたように、ダイエーが産業再生機構に入った時に、土地などの資産はすべて処分されているのです。また、ダイエーのままでは簡単にスクラップもままなりません。ダイエーは、この6年間赤字が続いています。その業績にまたまた大きな負担を掛けることにもなります。もう一つは、ダイエーを利用していたお客の問題です。わが町のダイエーがなくなってしまうではないか、といったお客の声が出てくることです。イオンに変わってしまえば、2つも同じ店舗は必要ないということになります。イオンに吸収すれば、回復の方法は広がるのです。

 「不易(ふえき)と流行」という言葉があります。ダイエーの創業者、中内氏がよく使っていた言葉です。流行とは、変化してしまうものです。ファッションはその最たるものです。そこまで早くなくても暮らし方などにも流行があるようです。不易とは、変わらないものということです。親に孝行、子には愛、人には親切、「店はお客のためにある」などいつの時代でも変わることのない原理と言ったものがあります。つまり2つの言葉は、右の極と左の極にある言葉だということです。ダイエーが無くなってしまうのも流行なのかもしれませんが、中内氏の『安売り哲学』のような不易の部分は、しっかりと繋いで欲しいと思います。
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