小売業は、その国の生活を映す鏡のような存在であるが、世界のショッピングセンターや小売店の実情から、生活全般の変化を考える。
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コメリ創業60周年、会社設立50周年に思う

コメリH&Gの看板

 ホームセンター(HC)企業のコメリが今年で創業60周年、会社設立50周年を迎えます。コメリは、今ではHC企業となっていますが、いくつもの商売を替えながら現在に至っています。スタートは米穀商でした。その10年後の62年に会社を設立し、翌年からLPG・石油を扱う燃料店になりました。HCに参入したのは77年のことです。日本にHCの1号店が誕生したのが73年のことですから後発組といえるでしょう。

 日本にHCが生まれる切っ掛けは、オイルショックでした。石油高騰による影響は、経営に重く圧し掛かって来るのですが、新しいビジネスを開拓するチャンスでもありました。 HCに早くから取組んだ企業には、燃料店、材木商、薬店などがありましたが、燃料店からの参入が最も多くなっていました。コメリも早くはありませんでしたが、何とかスタートに間に合った企業でした。

 コメリと深く関わることになったのは、87年からでした。創業者の捧賢一社長(当時)については、商業界のチューター(商業界ゼミナールで指導者的役割を任された人)として存じ上げていました。まだ燃料店だった頃、商業界ゼミナールで壇上の倉本長治初代主幹と握手をしていた捧社長を思い出します。その後私の恩師、故川進一先生が、監査役に就任したこともあって親近感を覚えていました。

 87年頃になると、本格的にHCに取組むために人の育成が急務になってきました。当時私は、月刊「販売革新」の編集長をしていたのですが、アメリカ視察のお手伝いをするようにと川崎先生から依頼を受けました。HC業界では、すでにコメリが作り始めていたハード&グリーンは異端のものでした。ハード&グリーンのような小型店では、何年後には始まる大型店舗の競争に生き残っていけない、と言われていたのです。実際、私もそう思っていました。

 毎年30人ほどの社員の人たちとアメリカ流通業を5年間視察しました。川先生と私との2人がコーディネーターでした。ディズニ-ランド近くのホテルに宿泊し、朝1時間程講義をし、視察から帰って1時間講義、というのが日課でした。ハードな日程ではありましたが、参加者の中には講義終了後にディズニーランド見学に行っていた人もいたようでした。

コメリH&G店舗   

 店舗視察は、住まい関係に限らず、出来るだけ多くの業態、ショッピング・センターを見ることにしました。小売業における各業態、各SCのポジションを明確にするためです。住まい関係では、大型HCだけではなく小型の専門店も視察しました。小型でも生き残っていける理由をつき止めようという意図です。物流の研究のために物流センターを視察したこともありました。
最終日は、打ち上げと言うことで全員一緒に食事をするのですが、最後に肩を組み合って歌った「故郷」は感動的に思い出されます。私の仕事の都合もあって5回で終わってしまいましたが、今ではハード&グリーンは日本全国に拡大し、コメリはトップクラスのHC企業になりました。社長を娘婿の捧雄一郎氏に譲って会長になった捧賢一氏にお目にかかる機会も少なくなりましたが、あの頃のことを考えると創業60年、会社設立50周年というのは、夢のまた夢といった感じです。
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