小売業は、その国の生活を映す鏡のような存在であるが、世界のショッピングセンターや小売店の実情から、生活全般の変化を考える。
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永井幸喜、岡本 正二人の功労者の旅立ち
 ホームセンター業界の功労者2人がこの12月に相次いで他界しました。いずれもケーヨーホームセンターの産みの親に当たる人でした。一人は永井幸喜創業社長で、もう一人は岡本 正副社長です。お二人は京都大学の先輩と後輩に当たり、常に二人三脚で進んでこられました。お互いに人生には切っても切れない存在であったと推察しますが、最後も二人三脚のような旅立ちでした。

 永井幸喜氏は、三菱商事から京葉産業というガソリンスタンドの経営に携わり、1973年にホームセンターの㈱ケーヨーを創業しました。当時、オイルショックが来ることを予測して、石油業や材木商、薬局業などからホームセンター事業を手掛ける企業が多くありました。ケーヨーもその企業の一つでした。

 ホームセンターは、1972年に埼玉県の与野に誕生したドイトが1号店とされています。ドイトは、日の出商事というタクシー会社が新規事業として始めたものですが、DIY(ドゥ・イット・ユアセルフ)を重視した日曜大工の延長のような店でした。ケーヨーの場合は、DIYも有りましたが、日常よく使う雑貨用品まで広げて低価格で提供する店を創りました。ホーム(家庭)で使う日用品を提供する、という観点から言えばケーヨーの方が“ホームセンター”に近いということが言えるでしょう。

 ケーヨーは、生活雑貨をまともに扱う業態がなかったこともあって、常にホームセンター業界の先駆者として成長・発展して行きました。業界で最初に上場を果たしたのも、ホームセンターというフォーマットを確立したのもケーヨーです。現在では、DIY協会と一緒になっていますが、ホームセンター協会があった時には、永井氏は会長を務めていました。残念なことは、二代目社長を引き継いだ息子の永井憲氏を早く亡くされたことでした。憲氏は私にとっても大学の同窓生と言う掛け替えのない友人でしたが、もう少し長く生きていれば、ホームセンター業界の勢力地図が変わっていではないか、と思います。

 永井幸喜氏に最後にお会いしたのは、4年前のことです。90歳になって現場から完全に引退を宣言した時でした。ランチをご一緒しながら、色々な話をしたのですが90歳にはまったく見えない、お元気な様子でした。後で話しを聞くと昨年の10月まではゴルフをしていた、ということです。まだ現役のときには、稲毛のご自宅から会社まで歩いて通っていました。また、会社から給料は貰わずにいる、という話も心に残っています。

 岡本正氏は、永井氏に誘われて一緒に事業を始めるようになりました。でんぷん製造業、石油販売業の後、ホームセンター事業の責任者になりました。ケーヨーというホームセンターの実質的な創業者と言っても過言ではないでしょう。何もないところから日本にホームセンターというフォーマットを創り上げたのです。フォーマットを確立するために各地でホームセンターを手掛ける経営者の勉強会を呼びかけたのも岡本氏でした。そこから“ホームセンター5社会”も組織されました。5社とは、北海道のホーマック、新潟のコメリ、千葉のケーヨー、愛知のカーマ、島根のジュンテンドーなどです。多くの業界人を育て、ホームセンター産業化に多大な貢献をしました。

 私も多くのことを教えて頂きましたが、「商業界」に勤めていた時には、商業界ゼミナールで体験発表などに引っ張り出したこともありました。勉強熱心で、あちこちの勉強会に顔を出され、さまざまな方々と知り合われ、ホームセンターに限らず広い知識をお持ちでした。西友の創業者である故上野光平氏を尊敬し、よく話をしていました。盟友である堤清二氏を助けて、最後まで副社長であった上野氏と自分の境遇があまりにも似ていたということもあったのでしょう。

 ケーヨー引退後は、留学生を支援する財団を立ち上げ、理事長に就任しました。業界と留学生の違いはあっても人を育てることには変わりがありません。アジアの留学生が多かったようですが、多くの種を撒いたことになるでしょう。一度財団に遊びに来て下さい、というお誘いを受けて一昨年財団とその隣にあるご自宅を案内して頂きました。すでに何年か前から体を壊しているようでしたが、案内するのは楽しそうでした。盟友である永井幸喜氏を見送ってからの旅立ちは、見事なものとしか言いようがありません。
生前に受けたご恩に感謝すると共に、お二人のご冥福を心からお祈りいたします。
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ミスター・マックスの小商圏店舗
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 ミスター・マックス取手店を見てきました。取手店は、12月1日にオープンしたばかりの店舗で、オプンセール第2弾でお客を集めていました。ワンフロア2、348坪のミスター・マックスに、メガネショップ、駄菓子店、幼児教室、保険、ヘアカット専門店、モスバーガー、携帯ショップ、クリーニング、美容室、歯科などのテナントを組み込んだ近隣型SCになっています。

 取手は、茨城県の最南端に位置し、東京・上野駅から40分のベッドタウンです。ミスター・マックス取手店は、JR常磐線の取手駅から東へ1.5km、県道11号線に面しています。場所は、印刷機械、印刷関係機器の製造から販売までをしている大手メーカー、小森コーポレーションの取手工場の跡地で、周囲を住宅が囲んでいます。駐車場は576台、駐輪場315台となっています。

 ミスター・マックスは、現在15都県に51の店舗を展開していますが、もともと福岡県を本拠とするディスカウントストアです。そのスタートは、安売りの電気店でしたが、次第に扱い商品を増やし、ディスカウントストアとして店数を増やしています。福岡の本社には何度か足を運んだことがありますが、ディスカウントストアを指向するだけあって、質素な建物だったと記憶しています。しかし、取手店の場合は、生鮮食品まで扱うスーパーセンターという新しいフォーマットです。スーパーセンターは、2009年11月に岡山県岡山市に1号店を開店し、取手店はスーパーセンター5店舗目となります。

MM売り場

 スーパーセンターは、世界一の小売企業ウォルマートによって開発されたフォーマットです。ウォルマートは、それまで展開していたディスカウントストアに生鮮食品などを加えてスーパーセンターを開発しました。専門用語で言えば、ディスカウントストアとスーパー・スーパーマーケットを融合させたフォーマットです。スーパー・スーパーマーケットとは、食品だけでなく食関連の雑貨などを扱った食生活ストアです。

 スーパ-センターは、衣食住トータルで日常生活をカバーするフォーマットですから、10㌔、15㌔で成立します。ディスカウントストアは、商圏が20㌔、30㌔となりますから店数は限られます。スーパーセンターは小商圏のフォーマットなので、それだけたくさんの店数が期待できるのです。ミスター・マックスもそれを念頭において取手の、駅から少し離れた住宅地に出店したものだと思われます。

 取手地区では、以前イトーヨーカドー取手店と取手とうきゅうがJR取手駅を挟んで西と東にありました。ところが、イトーヨーカドーは20年前に、とうきゅうは、昨年撤退し、取手地区には総合スーパーが1店もない状態でした。ミスター・マックス取手店は、日常生活の総合ストアですから、地域の人たちにとっては待望の店ということがいえます。茨城県では、一号店ということですが、総合スーパー不在の地域は、日本全国にあると思いますのでこれからもっと増えていくものと思われます。

MM売り場


 ミスター・マックスの店舗では、生鮮食料品、日用雑貨、医薬品、家電製品、玩具、スポーツ、インテリア、ペット用品、衣料など幅広く扱われていますが、ペットは、犬、猫、観賞魚の他、リスやモルモットまで扱う徹底振りです。天井は高く、什器は全体に低くして売場の見晴らしを良くしています。売上高の目標は、35億円ということですが、小商圏型のミスター・マックスが、他の小売業にどんな影響を与えるのか、興味深いところです。

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