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小売業は、その国の生活を映す鏡のような存在であるが、世界のショッピングセンターや小売店の実情から、生活全般の変化を考える。
ディスカウントストアの系譜
DSは創造的な商売

 ディスカウント・ストア(DS)の原型を創ったのは、ルーマニア移民の子ユージン・ファーカスです。第二次世界大戦が終わって、ヨーロッパ戦線から復員したファーカスは、父親がカバン職人だったこともあって、1948年ニューヨークのマンハッタンに旅行カバンの専門店をオープンしました。ところがビルの2階の店にはお客はほとんど来ませんでした。溜まっていくカバンを見て、ファーカスは思い切った安売りを始めます。旅行カバンのディスカウンターです。旅行カバンの安売りは、たくさんのお客を集め、あっという間に売り切れてしまいました。

 ファーカスは、考えました。旅行カバンだけでなく、当時急速に普及していた家電製品も安くしたら売れるのではないかと。カバンも家電も、庶民にとってどちらも安いものではありません。しかし、値段が安くなれば買いたいという人は多かったのです。家電を加えたことは、カバンの売上げを上げることにもつながって、店は一層繁盛しました。そこでファーカスはまた考えました。デパートメントストアと同じ扱い商品で、安くして売ればもっと儲かるのではないかと。1954年秋、初のフルラインの商品構成を持つDS、EJコルベットがニューヨークに誕生したのです。

 成功に成功を重ね、1962年遂にコルベットは、ニューヨークのマンハッタン5番街に進出します。後にDSの神様とも言われるKマートの創業者カニンガムは、たくさんの人に囲まれたコルベットの店舗を見た衝撃とDS成功の確信を熱く語っていました。現在のDSのトップ3、ウォルマート、ターゲット、Kマートを初め、多くのDS企業がこの年に1号店をオープンしているのも何かの因縁ということがいえるでしょう。

 DSのフォーマットが、その後順調に拡大したわけではありません。全国に登場したDSの多くは、衰退・消滅していきました。ホワイトフロントもその一つです。西海岸地区に50店舗近くを急速にオープンさせましたが、1958年に突然倒産してしまいました。その急速成長に驚き、注目した日本の視察者も店舗の残骸を目にして呆然とした、という話は、今でも語り草になっています。他にもツーガイズ、トレジャリー、カルドー、ベンチャーなど倒産企業を数え上げればきりがありません。

ホワイトフロントはすぐ倒産した


 ホワイトフロントには続きがあります。インターステートという親会社の共同経営者だったチャールズ・ラザラスが、倒産したホワイトフロントの店舗を買収し、自分の考えた商売を始めるのです。ラザラスは、実はインターステートが倒産する前に追放されていました。その経営内部のごたごたが倒産の原因だとも言われています。ラザラスがインターステートを飛び出して1948年に始めた商売が、子供用品のデーパート、トイザラスだったのです。ホワイトフロントの店舗は、トイザラスに変わっていきました。

 もう一つ、DSをバネに生まれた商売があります。メンバーシップ・ホールセールクラブ(MWC)というフォーマットです。MWCの代表は、全米売上高ナンバー6位のコストコです。日本にもすでに10店舗近くが出店していますが、元を辿ればDSに繋がります。フェドマートというDSの創業者にソル・プライスという人がいました。彼は、お客が驚くような究極のディスカウントを目指して、努力を重ねていました。ところが、今の商売でもっと儲かると考えた共同経営者は、プライスをフェドマートから追放してしまいました。そこで、プライスは、自分のやりたかったMWCという商売を始めます。カリフォルニアのサンディエゴにオープンしたプライス・クラブという名の倉庫がMWCの1号店でした。

 プライス・クラブは、その後多くのお客を集め、そのフォーマットは、全国に普及していきました。しかし、すぐにM&A(合併・買収)が始まります。プライス・クラブもシアトルで卸企業が作ったコストコと合併することになります。今では、MWCのフォーマットは、コストコとウォルマートが展開するサムズの2社に収斂されています。ところでトイザラスもプライス・クラブもサムズも店名に創業者の名が含まれています。トイザラスはラザラス、プライス・クラブは、プライス、サムズもウォルマートの創業者サム・ウォルトンから取っています。日本でもダイエーの創業者中内功(力でなく刀)もコウズという店舗を作ったことがあります。それだけ愛着があるということでしょう。DSは、単に安売りの商売ということではなく、創造性とロマンを含んでいるのです。
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