小売業は、その国の生活を映す鏡のような存在であるが、世界のショッピングセンターや小売店の実情から、生活全般の変化を考える。
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匠大塚vs大塚家具の春日部での戦い!!

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 大塚家具の創業者が、埼玉県春日部市に6月29日「匠大塚」をオープンさせて話題になっています。春日部市は、もともと大塚家具がスタートした地で、すでにIDC大塚家具春日部ショールームがあります。匠大塚は、東武野田線・春日部駅東口から徒歩7分。IDC大塚家具は春日部駅西口から徒歩3分の距離です。路線を巡る親子の確執が、駅を挟んでいよいよ店舗競争に持ち込まれることになります。

 この競争をメディアは、親子の確執に重点を置き、路線の違いにはあまり目が向いていないように思われます。もともと親子の確執は、ビジネス路線、取分け店舗政策の違いにあったように思うのですが。政策の違いは店舗を見れば明らかです。ここで、その路線の主な違いを見てみましょう。

 まず第1に感じるのは、店舗名からの相違です。匠大塚は、“匠”を前面に打ち出しているだけに産地やブランド、デザイナーなどを強調しています。作り手に重点を置いて家具の素晴らしさを訴えているのです。売場には、見るだけでも価値のある素晴らしい一流家具が並べられています。それだけに値段も高額なものです。こんなベッドやソファーや椅子が収まるのはどんな家なのだろうと想像を逞しくしてくれます。

 逆にIDC大塚の方は、大衆路線です。産地やブランドに拘らず、色・柄、デザイン、機能性など消費者のトレンドを重視しています。決して安ものを売っているわけではないのですが、価格を押さえてより多くのお客に購入しやすさを訴えています。換言すれば、使う側の便利性、趣味-嗜好性に重点が置かれているのです。匠大塚が作り手を大事に考えているのに対し、時代の変化に柔軟に対応していこうという政策と見えます。

 家具の歴史と伝統ということから考えれば、職人の作る見事な家具が無くなっていくのは残念なことです。匠大塚の商売は、こうした意識に応えるものと言えます。とは言うものの機械も導入した大量生産で、より安価な家具が手に入るのも有り難いことです。匠大塚のビジネスは、伝統的な家具職人の技術を守っていくことになりますし、IDC大塚家具は、一般大衆が、無理なく購入可能な家具を提供することになります。どちらも捨てられません。

 第2に挙げられるのは、規模の相違です。IDC大塚家具が1万772㎡に対して新たにオープンした匠大塚は2万7000㎡と2倍を超える規模を持っています。もともと大塚家具は、駅前に大型の家具店を展開して成功してきたと言われていますが、想像を絶する規模です。日本最大級と言われる巨漢店舗には、一流家具が陳列され、さながら美術館のようです。規模の大きさは、品そろえの多さにもつながります。たくさんの種類の商品を見ることが出来るということで言えば、匠大塚の方がIDC大塚家具より上ということになります。ただし、お客の手の届く価格範囲で、どれだけ選択肢があるかとなると話は別です。

 第3に挙げられるのは商圏、すなわちお客が来店する範囲です。匠大塚のHPでは、東京・埼玉はもちろん、千葉・神奈川・茨城・群馬など関東6県からのアクセス方法が載せられています。これだけの規模となると、関東に留まらず日本全国に商圏が広がっても不思議ではないと思われます。一方のIDC大塚は、すでに数タイプの店舗も含めて17店舗を主要都市に展開しています。関東だけでも現在8店舗があります。明らかに地域ごとのお客に対応しているのです。従って春日部ショールームの商圏は、匠大塚よりも小さいものになっていると言えます。

 以上の3点だけでも路線の違いは明確です。問題は、この路線の違いが市場にインパクトを与えて需要掘り起こしに繋がることになるかということです。確かに匠大塚のような巨大店舗がオープンしたことや同じ地域に因縁のある2店舗がある、ということはマーケットに少なからず衝撃を与えました。しかし、匠大塚とIDC大塚の2店舗の差別化は、お客を増やし、売上を増やすことになるでしょうか。

 家具業界は、現在ニトリやイケア、無印良品などの勢いがあります。いずれもカジュアルで、安価な家具です。個人の成長に合わせて使い捨ての利く家具です。対して匠大塚家具やIDC大塚家具の商品は、高級マンションや新築邸宅といった住まいで長く使う家具です。店舗に来て気軽に買って帰るお客より、店舗には見に来るだけといったお客が多いと思われます。だからIDC大塚家具もショールームという名前にしているのでしょう。

 そうしたことから2つのことが指摘できます。1つは匠大塚の一流家具は、たくさんのお客を集めることにはなるが、一流家具は見るだけで実際に購入するのはIDC大塚になるのではないかということです。あんな素晴らしい家具が買えたら良いな、と思いながらIDC大塚家具で購入するということです。

 もう一つは、規模の大きさを利用して、匠大塚が攻勢にでることです。IDC大塚が撤退するまで厳しい競争を仕掛けるということです。この競争は、手頃な価格の商品をどちらが多く揃えられるかということがポイントになるでしょう。いずれにしても、どちらにも得るところのない消耗戦になります。折角、停滞する家具需要に刺激を与えることにはなったので、上手に棲み分けをすれば、今回の騒動も無駄にはならないのではないでしょうか。
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CVS日本導入の歴史と開発功労者の降板
セブンイレブン

 セブン-イレブンを世界一のコンビニエンス・ストアに育て上げた鈴木敏文氏がグループ会長の座を降りるということで注目を集めています。セブン-イレブンを日本に導入してから42年間、変わらずセブン-イレブンの経営に携わっていたことになります。

 1974年にアメリカのサウスランド社と提携し、東京の豊洲に1号店をオープンしますが、その時の店名はヨークセブンと言いました。その後1991年には親会社に当たるサウスランド社の株式を収得し、本家を子会社化してしまいます。その商品管理や物流システムは、優れたビジネスモデルとしてウォルマートと共にハーバード大学のケーススタディにも取り上げられていることは、良く知られているところです。

 鈴木氏は、セブンイレブンでの手腕が認められ、親会社イトーヨーカドー・グループのトップに登りつめ、約24年間グループに君臨して今回の退任となったわけです。鈴木氏の経営手法の特徴は、目標を掲げ、それに向って直進することです。一度決めたことは簡単には変えません。セブン-イレブンでも、売れ筋と死筋を明確にする「単品管理」が成功要因に挙げられます。一個一個の商品を観察して、売れない商品を売場から排除していくのです。他の考えに左右されることはありません。

 コンサルタントの意見や雑誌の記事にも目もくれず、ひたすら徹底しました。考え方を浸透させるために全国の店長を定期的に本部に集めて「店長会議」も開きました。社内外の情報も統制され、多くの異端者が排除されました。懐疑的なマスコミも遠ざけられました。その一途さが今日のセブン&アイ・グループの成功に繋がったといえるでしょう。

 鈴木氏は、戦後新しい流通業を切り拓いた創業経営者とは違った経営手腕を発揮したのです。しかし、鈴木氏が去るに当たって、改めて後継者問題が囁かれていることを考えると、セブン&アイ・グループが、これまで培ってきた体質が後継者を育てる障害の一つになってきたのではないかと思うのです。

セブンイレブン2

 ところで、コンビニエンス・ストアが日本に導入された経緯を改めて考えてみましょう。コンビニエンス・ストアの開発は、70年代の初めに大手小売業によって手が付けられました。セブン&アイの前身となるイトーヨーカ堂は74年、ダイエーがローソン1号店に当たる桜塚店をオープンしたのが75年、ファミリーマートは2社に先駆けて73年にその前身になる実験店をオープンしています。

 それが本格化するのは、ユニーのサークルK、ジャスコのミニストップ、長崎屋のサンクスなどが参入してくる80年代に入ってからです。コンビニエンス・ストアの開発には、アメリカ小売業のノウハウがモデルとなっています。実際は、発展の歴史も、流通業での位置づけも、人々の暮らし方も日本と全く違っていたので、ほとんど参考にならなかったのですが、そこから手が付けられることになったのです。鈴木氏が、サウスランドとの提携のためにアメリカの本社を訪ね、相手のプレゼンテーションの時、眠っていたという話は、今や伝説的になっています。

 70年代の初めは、大型店と中小零細店との摩擦がピークを迎えた時期でした。ダイエーを初め戦後急速に成長してきた大型店が中小零細店の経営を圧迫するようになります。ダイエーが三越を抜いて日本一の売上高になるのが72年です。各地で大型店進出反対の運動が一層激しくなっていきます。それまで、百貨店法で百貨店だけを規制していたのですが、新興の大型店舗も規制すべきだ、といった機運が高まってきます。

 73年には、『大規模小売店舗における小売業の事業活動の調整に関する法律』、いわゆる「大店法」が成立し、大型店の出店は大変厳しいものになります。大型店の出店を申請しても調整のために何年も掛かると言う状況が出てきました。イトーヨーカドーでも静岡県でオープンするまで10年以上を費やすという事態が生じます。こうした危機的情況の中で大型店も活路を模索し始めるのです。

 大型店の模索した活路には、2つの側面がありました。1つは、大店法に掛かからない店舗の開発です。規制の範囲内で展開できる中・小型店の可能性です。ロードサイドのホームセンターやドラックストア、専門店に注目が集まりました。もう一つは、中小零細店との共存共栄の道を模索するというものです。これまでの中小零細店が大型店進出で大きな打撃を受けたのは、生産性が低いためだ。もっと効率の良い店舗を提案すれば共存共栄の道が拓けるのではないかというものです。アメリカ流通業を見ると、大型店舗が大企業になっている中で、中・小型の店舗も成立していました。それがセブン-イレブンを初めとするコンビニエンス・ストアだったのです。

 アメリカ社会でのコンビニエンス・ストアの役割は、スーパーマーケットの補完であり、ガソリンスタンドなどに併設された車社会での便利な買物の場所でした。アメリカ小売業全体の売上割合でいっても2、3%でしかありません。そのコンビニエンス・ストアを逸早く日本的にアレンジし、効率的なシステムを創り上げた鈴木氏の手腕は確かに高く評価されます。しかし、日本のコンビニエンス・ストアが生まれた歴史的背景と消費者に認められた必然性というものも見過ごしにはできないでしょう。

世界一小売企業ウォルマート、269店舗閉鎖の意味

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エクスプレスは完全撤退
 世界一の小売業、ウォルマートが今年に入って、全世界で269店舗を閉鎖すると発表しました。内訳はアメリカ国内でエクスプレスと呼ばれる小型店舗の102店舗を含む154店舗、ネバーフットマーケット業態の23店舗、スーパーセンター業態の12店舗、ディスカウントセンター業態の6店舗、サムズクラブ業態の4店舗、それにプエルトリコで展開している7店舗の269店舗です。

 もっとも閉鎖の多いウォルマート・エクスプレスは、都市部の顧客を拡げようと2011年から出店を始めたグループのなかでは最新の実験店舗でした。平均1万2000平方フィート(約1114平方㍍)の規模で、生鮮を含む食品の他、日用品、薬などを扱かっています。5年間でエクスプレスを含めて102店舗ですから、出店スピードは遅々としたものです。今回の閉鎖で、この規模の小型店は実験終了と言うことになります。

 ネバーフットマーケットは、1998年から展開し始めた業態で、およそ3万8000平方フィート(約3500平方㍍)の規模で生鮮を含む食品、日配品、雑貨、化粧品、薬などを扱う店舗です。ウォルマートは、このネバーフットマーケットを基準に、これ以下の規模の店舗をスモール・ストアと位置付けています。エクスプレスもこの中に含まれていました。2015年のアニュアル・レポートでは、スモール・ストアは41店舗、ネバーフットマーケットは698店舗がそれぞれ全米に展開されていました。


ネバフットマーケット
閉鎖は全ての業態に及んでいる
 スーパーセンターは、1988年から展開を始めた店舗です。およそ18万2000平方フィート(約1万7000平方㍍)に生鮮を含む食品とパン、デリ、日配品、家電、服、玩具、ホームファニシングなど、暮らしに必要な商品を一度に一か所で購入できる店舗です。その他、銀行、美容院、ネールサロン、レストラン、メガネ店などのテナントも入っています。店舗のほとんどが24時間営業です。ウォルマートが世界一の小売業になった原動力の店舗と言えます。2015年のアニュアル・レポートでは、3466店舗が全米に展開されています。

 ディスカウントセンターは、ウォルマートの原点となった業態です。1962年に創業者のサム・ウォルトンによってアーカンソーのロジャーに1号店がオープンしました。ディスカウントセンターは、スーパーセンターより小さい10万6000平方フィート(約9900平方㍍)の売場面積に家電、玩具、服、ホームファニシング、健康・美容商品、ハードウエア、園芸用品などを扱っています。2015年のアニュアル・レポートでは全米に449店舗が展開されています。今ウォルマートで主力になっているスーパーセンターは、このディスカウントセンターに大型のスーパーマーケットを組み合わせて、日常の買物をすべて一か所で出来るようにした業態なのです。

 サムズクラブは、メンバーシップ・ホールセールクラブ(会員制倉庫販売)の業態です。1983年にレストランや小売店を営んでいる小規模ビジネスのオーナーを応援しようと創業者のサム・ウォルトン氏が創りました。日本でも同じ業態でコストコが、すでに上陸しています。実は、この業態はコストコの方が元祖になります。この業態の原型は、1976年にソル・プライス氏がサンディエゴに創ったプライスクラブです。サムズクラブは、その後を追って創られました。その後、プライスクラブは、1993年に同業であったシアトルのコストコと合併し、現在のコストコとなったのです。店舗数はサムズクラブの方が約3倍多いのですが(コストコ206店)、パイオニアのコストコがこの業態では先行しています。2015年のアニュアル・レポートでは、平均13万4000平方フィート(約1万2500平方㍍)のサムズクラブを全米に655店展開しています。

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次年度は同じ数の店舗を計画
 米国外での店舗閉鎖については、ブラジルの不採算店の60店舗と他の南米地域の55店舗、合計115店舗を閉鎖するとしています。ブラジルには2015年度559店舗が出店しており、それ以外の南米地域にも3500余りの店舗があります。店舗閉鎖は、世界中の売場面積の1%にもならない、とウォルマートでは語っています。店舗閉鎖という悪い話ばかりではありません。新規出店も同時に発表しています。次年度に米国内ではスーパーセンターを50~60店、ネバーフットマーケットを85~95店、サムズクラブを10店、合計145~165店舗を国内に、国際的には200~240店をオープンする予定としています。

 ウォルマートは今回の店舗閉鎖について「収益性や企業の長期戦略複数の要素を踏まえた」と説明しています。収益性ということでは、小型店のエクスプレスは完全撤退したものの、ネバーフットマーケットは堅調に推移しています。昨年の5~7月の売上高で見ても既存店売上高は、米国ウォルマート全体で1.5%に過ぎなかったのに対して7.3%の増加となっています。つまり、小型店でもある程度の規模がないと利益を十分に上げることが難しい、ということでしょう。


再びウォルマートは復活するか
 ウォルマートの昨年5~7月期の決算は、純利益が前年対比で15%減となっています。ウォルマートは、この業績悪化の主要因を2つ上げています。1つは、ドル高の影響で海外の売上が落ち込んだこと。もう一つは、従業員の賃上げなど顧客サービス向上の取り組みが重荷になったことです。この苦境を乗り切る今後の戦略としてウォルマートは、最低賃金の引き上げや店舗の商品部門マネジャーの増員などによる顧客対応強化、を挙げています。いずれにしても売上が国内、国外で思うように上がらない中、新たな投資が必要になっているようです。そのためウォルマートは、2016年度の通期見通しを下方修正しました。世界の経済情勢を占う意味でもウォルマートの動向に注意が必要です。
戦後の小売業成長の旗頭ダイエーが無くなる
 「ダイエー」の名前が消えるそうです。26日にはダイエー最後の株主総会が開かれ、イオン完全子会社化が承認されました。ダイエーは、戦後の流通革新の先頭を常に走ってきた企業です。イオンが完全子会社化し、2018年度を目途に名前をすべてイオンに統一すると言うことです。ダイエーは倒産後、産業再生機構入りから、商社の丸紅とイオンとで再建を図っていました。さらに2013年にはイオンが連結子会社にして再建を強化していたのですが、思うように業績が回復しませんでした。今後は、持ち株比率を100%に引き上げて完全子会社化し、本体のイオンとの統合を図るなかで問題の解決を図っていこうということです。

 ダイエーは、日本の近代的流通業革新の旗頭、中内功氏(功のつくりは、力でなく刀。現役のときは、うるさく言われたものです。)によって創業されました。中内氏は,フイリピン戦線でゴキブリや革靴を食べて生き残った引揚者でしたが、1951年にサカエ薬品という薬の現金問屋を開業します。父親は薬剤師で、薬局を商売にしていたので、取組みやすかったのだと思います。
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 サカエ薬品は、桁外れに安い値段で薬を販売し、繁盛店になります。なぜ安く売ることが出来たかについては、有名なエピソードがあります。その日の朝現金で注文を受け取り、その足で問屋に駆けつけ、午後に薬を渡すというのです。仕入れの資金を心配することがありませんし、問屋からも現金ですから安く買えます。注文販売で在庫を持つこともありません。在庫を持つためには資金が必要ですし、場所も必要です。さらに、回転の悪い在庫は、どんどん溜まっていき、経営を圧迫することになりかねません。中内氏の商才の素晴らしさを示したエピソードの一つです。

 中内氏は、その後も“うがい薬”の会社を設立したりしていましたが、1957年には当時ブームになっていた主婦の店運動に共感して主婦の店ダイエーを創業します。これまでの常識を無視した安売りは、消費者の支持を受け、ダイエーは、各地に店舗を増やしていきます。実は、この急速成長の手法が後々ダイエー崩壊の原因となってくるのです。このときの手法というのは、土地を担保にお金を借り、次の店舗を開店させるというものでした。高度経済成長のもとでは、大型店の出店は、20%くらいの土地の値上げに直結していたのです。これも中内氏の商才と言うこともできるでしょう。手法はともかくとして1972年には三越百貨店を抜いて売上高日本一の小売企業になります。

 ダイエーの流通革新の業績はたくさんあります。何事についても第一に手掛けるのがダイエーでした。既存の対抗勢力に臆するところは全くありません。戦後に台頭した小売企業を集結してチェーンストア協会の初代会長に就任したのもその一つです。株を上場したのも、大卒採用を始めたのもダイエーでした。アメリカで開発されたフォーマット(業態類型)を日本に導入するのも一番です。ディスカウントストア、ボックスストア、メンバーシップ・ホールセールクラブ、コンビニエンスストア、ららぽーとのようなショッピングセンターなどなどです。今は残っていないとしても、最初に日本に紹介したのはダイエーだったのです。

 新しいフォーマットの紹介だけでなく、最近ではどこでもよく見かけるようになったプライベートブランド(PB)もダイエーが皮きりでした。PBの日本での始まりは、ダイエーのダブルチョップというものです。厳密に言えばPBとは言えないものですが、メーカー商品にダイエーのブランドを付けた商品です。この頃の代表的商品には、女性用のストッキング、インスタントコーヒー、粉末ジュース、マーガリンなどがありました。

 PBでもそうでしたが、ダイエーにはアメリカのように小売業が流通の支配権を握るべき、という思想があったような気がします。流通の支配権とは、端的に言えば価格の決定権です。中内氏の『安売り哲学』には、この思想が貫かれています。すべての試みがこの思想に繋がっていましたし、考えてみるとダイエーの革新性は、この戦いにあったのではないかと思います。その戦いの中で最もよく知られているのが松下電器(現パナソニック)との戦いです。一時は、正常なルートでは松下電器の製品が売れないことがありました。1970年代に入ってようやく解決するのですが、メーカーの流通支配を打ち破ったのです。

 ダイエーをすべてイオンにする狙いには、イオングループの再統合ということがあるでしょう。イオンも例にもれず業績の悪化が見られます。その原因には、消費税の関係なども言われていますが、イオン全体が巨大になり、ある面では散漫になってきたということがあります。経営は、たとえ増収が実現できなくても増益にしなければなりません。もし全体の再編によって増益が可能であれば、それを進めなければなりません。これからますます進むと思われる高齢化、少子化、国際化、高度租税社会に対応し、増益になるのであれば、これに早急に取り組まなければなりません。

 イオンには、GMS(総合スーパー)からスーパーマーケット、ドラッグストア、コンビニエンスストア、ホームセンタースーパーセンターなど様々なフォーマットがあります。それに加えて、以前マイカルであったものや、この間吸収した各地企業の店舗などがあります。それにダイエーの店舗が入るのですが、バラバラのままでは、とても効率を上げることはできません。特にダイエーの場合には、これまでのジャスコと商圏の重複が見られたり、ジャスコの郊外に対して、ダイエーは駅前や商店街の店舗が多いなど立地が違うものが多くあります。

 駅前の近くであれば、マンションビルを建設して1階でスーパーマーケットを運営すれば十分成功できるのでは、と考える人もいるでしょう。ところが、岡田イオン社長が記者会見で嘆いていたように、ダイエーが産業再生機構に入った時に、土地などの資産はすべて処分されているのです。また、ダイエーのままでは簡単にスクラップもままなりません。ダイエーは、この6年間赤字が続いています。その業績にまたまた大きな負担を掛けることにもなります。もう一つは、ダイエーを利用していたお客の問題です。わが町のダイエーがなくなってしまうではないか、といったお客の声が出てくることです。イオンに変わってしまえば、2つも同じ店舗は必要ないということになります。イオンに吸収すれば、回復の方法は広がるのです。

 「不易(ふえき)と流行」という言葉があります。ダイエーの創業者、中内氏がよく使っていた言葉です。流行とは、変化してしまうものです。ファッションはその最たるものです。そこまで早くなくても暮らし方などにも流行があるようです。不易とは、変わらないものということです。親に孝行、子には愛、人には親切、「店はお客のためにある」などいつの時代でも変わることのない原理と言ったものがあります。つまり2つの言葉は、右の極と左の極にある言葉だということです。ダイエーが無くなってしまうのも流行なのかもしれませんが、中内氏の『安売り哲学』のような不易の部分は、しっかりと繋いで欲しいと思います。
ダラー・ジェネラルのTOBで混迷深めるVS業界
 前回の続報です。前回、業界第3位のダラー・ツリーが2位のファミリー・ダラーの買収を発表したと書きました。ところが、横やりか入ったのです。第1位のダラー・ジェネラルが動いたのです。ダラー・ツリーとファミリー・ダラーは、両社とも役員が了解済みということで、買収話はスムースに進むと思われたのですが、ダラー・ジェネラルはダラー・ツリーを上回る条件を提示して、ファミリー・ダラーに待ったをかけたのです。業界トップを長く維持してきたダラー・ジェネラルにとって、トップを奪われることが、どうしても許せなかったのでしょう。

 ダラー・ツリーとファミリー・ダラーの合意が第1幕とするとダラー・ジェネラルの提案は第2幕です。ダラー・ジェネラルは、7月28日ダラー・ツリーがファミリー・ダラーに提示した1株74ドル50を約5%上回る1株に付き78㌦50の値を付けました。この買収が実現すると、買収に要する総額は、ダラー・ツリーよりも12億㌦も多い97億㌦になります。さらに、46州に約2万店、売上にして280億㌦を越す企業が生まれることになります。残されることになるダラー・ツリーが4,812店、売上高が約77億㌦ですから、このVS業界では圧倒的に大きな企業が生まれることになります。

 以前、2015年には引退すると表明していたダラー・ジェネラルの会長兼CEO、リック・ドレイリング氏は、事実上引退を撤回し、このファミリー・ダラーへの提案が株主や会社にとっていかに利益的かを熱く語っています。株主利益の第1は、ダラー・ジェネラルの付けた78㌦50は、ファミリー・ダラーが買収を提案する前日の株価60㌦66を29.4%も上回っていること。第2は、店舗のサイズや品ぞろえなどが似ているので、相乗効果が生まれ、3年間毎年5億5000万ドルから6億㌦の節約になるというのです。相乗効果は、品ぞろえの改善、店舗演出、効率的な仕入れや商品開発、物流や配送の的確化、さらに運営の効率化によって生まれてくると言うことです。圧倒的な企業が生まれることで、独占禁止法の問題が心配されますが、それに対しても700店舗を整理する計画だったということです。

 第3幕目は、この提案に対するファミリー・ダラーの対応です。ファミリー・ダラーは、ダラー・ジェネラルの提案に対して、独占禁止法の懸念を上げて拒否し、ダラー・ツリーとの合併を再確認するとしたのです。ファミリー・ダラーの会長兼CEOのハワード・リバイン氏は、ダラー・ジェネラルとの組み合わせは、外部のアドバイザーやコンサルタントの助けを得て今年の初めから取締役会で検討してきた、と述べています。その上でダラー・ジェネラルの提案は、総合的に判断して実現は不可能と全員一致で結論を出し、ダラー・ツリーとの合併を再確認した、とインタビューに答えています。さらに、ダラー・ジェネラルの提案には、独禁法に対して、見え透いた誇張が含まれていると指摘しています。

 第4幕は、ダラー・ジェネラルの最後の手段です。ファミリー・ダラーに対してTOB(株式公開買い付け)を引掛けたのです。TOBは、個々の株主から持ち株を買い取ると言うものですが、91億㌦(約1兆円)の資金を用意し、1株80㌦を現金で買い取ると表明しました。資金に付いては、すでにゴールドマンサックスやシティーグループといった投資会社にコンタクトを取っているということです。さらに独占禁止法の問題では、1500店の店舗を捨てる用意があり、ファミリー・ダラーに対しては損金として5億㌦を支払うとしています。こうなると死にもの狂いです。何としてもダラー・ツリーとファミリー・ダラーの合併を阻止しようという気持ちが伝わってきます。

 アメリカの小売業は、ウォルマートという巨大企業に席巻されています。直近の売上高(2013年度)を見ても、トップのウォルマートが約33兆円なのに対し、2位のスーパーマーケット、クローガーは約9兆円にしかすぎません。しかし、そのウォルマートにも天敵がいます。その一番手がこのダラー・ジェネラルをトップとするダラー軍団なのです。安さを売り物とするウォルマートを凌ぐ圧倒的な安さをお客に提供します。アメリカの経済は強さを取り戻しつつあると言われ、ドル高、円安が進行していますが、一方では貧富の格差が大きくなっています。究極の安さを提供するダラー・ストアが今後伸びていくことが予想されるのです。

 ダラー・ツリーとダラー・ジェネラルによるファミリー・ダラーの取り合いは、恋人を取り合う三角関係の様に見えます。しかし、これは単にVS業界の覇権争いということではなく、次の時代に向けて巨大なウォルマートへのチャレンジャーを決める戦いでもあるのです。ウォルマートに対抗するには、小さく分散していたのでは話になりません。1強他弱では、どこかの国の政治構造と同じ結果になってしまいます。対抗するための体制を整える必要があるのです。ファミリー・ダラーは、取締役会でダラー・ジェネラルのTOB提案を検討すると発表しましたが、決着を見るまではまだまだ時間が掛かりそうです。

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